きのくにフォレスター
久保田 遊己 さん
久保田 遊己 さん
兵庫県から移住
西牟婁森林組合

自然と暮らし、豊かに働く選択肢

一度は諦めた10年越しの林業移住

林業に興味を持ったきっかけも、実際に一歩踏み出して林業を始めたいきさつも、人それぞれに違います。昔から憧れていたという人もいれば、思いもよらなかったご縁で始めたという人もいるでしょう。兵庫県から移住し、現在西牟婁森林組合で働く久保田遊己さんの場合は、移住への想いが先にありました。

実際に移住する約10年前に林業移住のセミナーに参加した久保田さん。林業志望での移住ではなく、田舎暮らしをしながら働く選択肢の1つとしてあったのが林業でした。当時はリスクやデメリットを聞くうちに「今の仕事や暮らしを全部捨てて田舎に移り住むのは思う以上に気合いがいるな」と断念。その後、資金面に余裕ができた際、再び移住を本気で考える機会が巡ってきます。

候補となったのは、和歌山だけではなく、条件面だけを見ると徳島の方が整っていたのだそう。ですが、仕事でも遊びでも何度と訪れた和歌山は、久保田さんにとって心に残る存在でした。「海も山もあって、白浜もいい所。妻も僕も神社仏閣が好きなことから自然崇拝を起源とする熊野古道にも惹かれました。それに、田舎暮らしをしたいとアンテナを広げたら『和歌山いいよ』と言われる機会が増えたんです。これはもう巡り合わせだと、結果的に直感で決めました」。

久保田さんインタビュー

林大で得た技術と仲間が支えに

移住前に林業を調べていると、頻繁に見聞きしたのが「危ない」というワード。同時にプロフェッショナルな仕事であることもわかりました。専門的な技術を身につければ、危険を回避しながら自然の中でプロフェッショナルな仕事ができる。ならば、いきなりどこかの事業体に入るより、きちんと勉強することでリスクを減らし、プロ意識を養えるのではないか。そう考えた久保田さんが行き着いたのが、農林大学校への入学です。「どうせなら1年間しっかり林業を学びたい」。そう考えたことから、1年かけて学べる和歌山県農林大学校林業研修部の門戸を叩くことになります。

年齢もバラバラな人たちが志を同じくして集まり、切磋琢磨する農林大学校。卒業した今も同期生とは連絡を取り合い、仕事の共有をしたり、ご飯を食べに行ったりと、いろんな形でつながっています。

そんな久保田さんだからこそ「移住を考えていて、余裕があるならば林大には行った方がいい。学校に行かずに働くこともできましたが、勤め先だけでない林大に行ったからこその出会いがあり、今もことあるごとに人とのつながりを有難く感じています」というアドバイスにも説得力が感じられます。

久保田さんインタビュー

1歩1歩、山を踏み締めて

自然の中で、鳥の声をBGMにしながら日々行うさまざまな山仕事。夏場は夏草を刈り払い機で刈り込み、秋は間伐で生育環境を整頓。冬になると地拵えし、植栽で皆伐した山肌に筋をつけていく、というように。

林大に通いながらアルバイトで経験を積んできたものの、当時は土日のみ。本格的に働き始めると毎日山に通うため、体力的な負担は増えました。「山を歩くって難しいんですよ。林大で炭焼きさんを訪ねた時に、その方も2〜3年はチェンソーを持たせてもらえなかったと聞きました。それくらい、山を歩くことに慣れることがまず重要。1歩1歩、どのルートを歩いて、どこに足をかけるのか。最初は無駄に力が入るので余計に疲れます。体力には自信がある方だと思っていたんですが、特にチェンソーを持ちながら歩くのは骨が折れますね」。

1つの現場での作業は1〜2週間。終われば次の現場へと移ります。全ての間伐を終えた後、少し離れた場所から遠目に現場を眺めると、樹間が整って光が入り森が明るくなっているのがわかるそう。自分の仕事の成果を目の当たりにし、達成感を得る瞬間です。

久保田さんインタビュー

親子3世代の新たな暮らし

現在は中辺路町にある築50年以上の古民家に暮らす久保田さん一家。移住先を具体的に考え始めた矢先、巡りあったのがこの家。当初は屋根も床も抜けている状態でしたが、少しずつ手を入れながら改修しました。「わざわざここまで来て賃貸マンションもないか」と、移住セミナーで相談。そこで「先に家を決めてしまっても大丈夫」という言葉に背中を押されて一軒家購入を決意。妻と当時小学5年、2年、年中だった子どもたち、さらに義父も一緒に、3世代で移り住むことになりました。

久保田さんインタビュー

夏草を刈り払う作業は、早朝のまだ暗い時間に現場に入り、作業はお昼過ぎまで。持参したお弁当やおにぎりを山で食べて、作業が順調な日は13時には家に帰って、そこからはプライベートタイム。明るいうちに帰れることで、できることの幅も広がります。DIYや土いじりをして過ごしたり、近くにある保育園まで散歩を兼ねて子どもを迎えに行くことも。また料理も久保田さんの担当です。いただきものや産直で安く仕入れた季節の野菜を使いたい久保田さんと、野菜が苦手な子どもたち。「野菜炒めは食べてくれないからなぁ。今日はどんな献立にしよう」なんて、頭を捻りながらキッチンに立っています。

久保田さんインタビュー

久保田さんが「和歌山は人を受け入れてくれやすい気質がある」と話すように、家族も地域にすっかり馴染んでいます。
転入した小学校の児童数は約20人と少人数。都会とは環境がまるで違いますが、それだけに先生もよく気にかけてくれ、子どもたちは学業面でも熱心に取り組むようになっているそう。暗くなってきたら街灯や自販機の周りでオオクワガタを採ったりと、田舎暮らしを満喫しています。

価値観のシフトで変わる豊かさ

兵庫県出身の久保田さん。もともと住んでいた尼崎は自転車と電車でどこへ行くにも不便のない場所でした。「便利はいいけれど、工業地帯で騒音もあるし、空気もよくなかった。ここは空気がよくて、その日その日で違う景色の表情を楽しむことができるんです。朝霧が立っていたり、雨上がりは空が透き通って感じたり、朝も夕暮れも気持ちがいい」と話します。

「子どもがいるので家は学校の近さで選びましたが、もっと土地のある場所を選べば、畑もできて食べ物にかかるお金ってほとんど必要ありません。思いきってシフトしてしまえば、工夫次第で大阪や東京で暮らすのとは違う豊かさが手に入ります」。そう話す久保田さんが重視しているのは、移住前も今も、変わらず「自然と生きる生活」。それは、いかに自分の価値観を変えられるか、暮らし方や人生観との折り合いの付け方と言えるでしょう。その手段として始めた林業も、今やしっかりと久保田さんの生活の一部となっています。

久保田さんインタビュー